201612 03 Mini

4.
皆さんには、生かしている私と、生かされている私の二つの私がある。
この二つの私は二元論ではなく一元で存在している。
しかし人は生かしている私を忘れて、生かされている私しか認めていない。
命の私は完全そのもの。全てを生かしているもの。無形無双、原因なき原因。
人々が追い求めてきた神は見えない、触れないから理解が難しい。

目に見えないものは、理解が出来ない。

見える物を生かしているのは、見えない原因、これが全ての根源。
迷いから悟りへの違いは、見えないものを理解すること。
一元の世界(見える物は唯一の命によって動かされている)には迷いも悟りもない。完全意識という。これが本来の人間の姿。

無形無双を教えるために言葉が必要となる。
しかし言葉では無形無双を表現することは出来ない。
宇宙全体を原因なき原因が全てを埋め尽くしている。
一点のすき間もない。無限、完全、遍満だから ― 完全の内には迷い、悟りはない。
これを神仏と説いている。
言葉の持つ意味を知らないから、言葉につまづいている。
命がなければ花は枯れる。
命がなければ鉱物は風化してゆく。
物質は仮想で結果。原因は命。
永遠で変わらない。

久遠常在、不死不滅、一度も破壊されたことがない。
物質にはエントロピーの法則が働き、始めと終わりがある。
消え去る それは本質に帰るために。そして再び形を取る。
循環の法則が働いている。命は不滅。
自分は命と思うと不安、苦しみがない。
宇宙も世界も一つ、宗教も科学も思想も一つ。
生かすと生かされる私。見える物と見えないものが必要。

この宇宙に失うものは一つもない。
全ては命、生命エネルギー、素粒子の世界。
氷は水になり、水は水蒸気になる。
変化があるのみで死はない。
永遠の命を認める者を覚めた者という。
無形無双、原因なき原因。

生かされている私と生かしている私は表裏一体。区別がない、境目がない。
生かされている私は結果、生かしている私は原因。
原因と結果は表裏一体。この境地にある者を悟りという。

言葉で命を説くことは出来ない。
文字、言葉では表現できないから無限という。
言葉に振り回されてはならない。

本源を知らない者が、知識で説いている…間違い