20170105

(AD2016.3.22 上江洲義秀氏にオーバーシャドウして)

 

何故私に表面から歩み寄ってこないのか。
あなた方一人一人を抱きしめて無限の食卓につこうとしているのに。

何故与えられた小さな個の我というものに執着するのか。
感情や五感に支配されてもまだ足りないのか・・・。
まだ悩み足りないのか・・・。

今即 目の前に無限の喜びがあなた方の目の前に供えてあることを解ってほしい。
命に正面から立ち向かって、しっかり目を向けて欲しい。

無限光輝く命の他に、何も存在しないことを知ってほしい。

どこに目を向けても、前後左右どこに向いても愛として、完全のみしか実在しないことを知ってほしい。

愛の中に生かされて、何故憎しみが、何故怒りが、何故嫉妬が、何故分離差別があるのか…。
ないものに振り廻されているあなた方ではあってはならない。
無いものは、いつかは いつかは消えゆかねばならない。

真実はただ一つ。
全ての全て、あってあるものを創造し、建設し、生かす。
無限にして完全意識のみが実在する。
それを神と言い、仏と言う。
それを命と言い、真実と説く。
その言葉をどう説いても、その本質は無形無双、原因なき原因として一体であることを知ってほしい。

一元、他に何も実在しないのに、皆さんは自らして何次元を作り上げて、そこに苦しみに生きるあなた方になっている。

本来は「我は神なり」「全ては神なり」とする、神性意識の他に存在しない。
表面意識や潜在意識だと言っても、三位一体で全体意識しか無い。
一つしかない。

肉の扉をとってこそ、無限の至福に入れる。

また肉体と錯覚で生きる限り、至福はない。

肉体を我として錯覚で生きる限り、常に外側に振り廻されて生きることになる。
そこに生きる限り、至福や喜びは絶対に訪れることはない。

肉の扉を閉じると、我肉体にあらず、我命なり、命という本質を理解してこそ、ここに真の至福がある。
あなた方の永遠のものとしてつかめることを知ってほしい。

外を見、外を感じ、外に生きる限り、常に混乱、結果に振り廻されることを知ってほしい。

あの人に言われ、この者に言われ、あの人が何と言った、この人が何と言った、どう表現した、常に外、外、外に振り回され、混乱して生きている。

肉に死んでこそ とは、肉体を殺せという意味ではない。
我肉体にあらず、我命なりという自覚を持つこと。

肉体自らは生きることが出来ない。
肉自らは生きていない。
肉体は命に生かされているもの。
肉体自らは無なり。
肉体自らはゼロなり。
肉体自らは何の力も智恵も、愛もない。

肉体を通して愛を、肉体を通して力を、肉体を通して智恵を示す。
命そのもの。

皆さん命を追求してほしい。

命はただ肉体を生かしているだけではない。
命そのものが智恵であり、力であり、愛であることを皆さん知ってほしい。
肉の扉をとってこそ無限の至福に入れる。

私肉体と錯覚している限り、至福はない。

肉体を我として錯覚で生きる限り、常に外側に振り廻されて生きることになる。

外に生きる限り、至福や喜びは絶対に訪れることはない。