根源の世界の原子(エネルギー、生命)と電子(質量、肉体)は破壊することが出来ないもの。
命の世界、空の世界、見えない世界は不死不滅の世界…ここには悩み苦しみ病気は一切存在しない。
完全調和の世界。
病気は姿形、物質、肉体の世界にしか存在しないもの。
イエスの弟子がイエスに問う。「病気は何故存在するのですか?」
答え「病気の原因は不調和にあります」
我肉体の存在なりと命の分離感を持つと、病気になる。
肉体は命の乗り馬。我命なりと、肉体を粗末にすると、不調和の結果、肉体が病むことになる。
一方の見方は、病気の発生は本人の成長の為の、手段に過ぎないと考える事。
病気に正しい姿勢で立ち向かい、乗り越えると一段も二段も成長している我となる。
根源の内に融合する為の手段にすぎないから。
ヒーリングするヒーラーは絶対に嘘がつけない。
外側に、見える世界に意識が一点でも向いていれば、光のエネルギーが放射しないから。
ヒーリングで渡すことは不可能だから。
宇宙意識、命を完全に認めて、その境地に止まって初めてヒーリングが出来るから。
今即無限宇宙、無形無双、原因なき原因である宇宙生命が即自分。
無限の智恵、力、愛の根源の世界がある。
これとつながり、この力を使える自分になること。
この境地になれば、病気は一瞬にして消える。
天上界から、人類指導の為に派遣された上江洲義秀氏は、人の脳内出血を止め健康に戻すことが出来る人。
しかし氏は語る。「病気の人がいればその人の生か死は神に全て委ねます」と。
天地一体我なり。天は全ての原因である神の世界。
病気の人は病気の原因を脱ぎ棄てると猛スピードで治っていく。
全智全能である天のみ心に全てを委ねます、と祈ると良い。
全智全能の神よ、この病をあなたに委ねます、と全託すること。
神がその人の生死を判断することになる。
その人の地上界における使命を果す役割がまだあれば、肉体をもってその使命を果すことになる。
肉体に執着してはならない。
しかし肉体は神が宿る媒体。
肉体を粗末にしてはならない。
永遠の命が我、真我、神我であるとの自覚が必要。
もしあなたが肉体を持って自分の使命があるのならば、根源の世界はあなたを用いるだろう。
根源の世界は、意識の世界で物質界に働きかける役割。
現実に行動して、社会を変えてゆくのは、肉体を纏った人間が行う役目。
全ての根源の世界である源へ全てをまかせることを解脱と言う。
全てを飲み込み、神の内に静かに錨を降ろす。
古神道の世界では、神に全てを全託することを惟神(ゆいしん)と言っている。かんながらの道。
世界はどうすれば平和になるのか。
助け合い、分かち合い、共存共栄、共存共生、愛以外に平和にする対策はない。
今世界で起きている、金々、物々、自分さえ良ければ、の思いを愛に変えるしかない。
今の民主主義は、金持ちと利権を持つ者が自分達だけの利害で政治、行政、経済を行うことに反対をつきつけ、民衆の社会を取り戻そうとするうねりが全世界に起きている。
下剋上の流れ。
しかし下剋上の目指すものが、恨みや対立の思いなら、世界に平和が訪れない。
ユートピア社会は全体のみが存在。
あなたは私、私はあなた、同じ命、実の兄弟姉妹、天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず。
福沢諭吉は民主主義の欠点を見抜いた人。
民主主義は政治が衆愚政治に陥っている。
官僚は堕落する。
対策は国民一人一人が全体の立場になって、私立(わたくしりつの)精神を発揮するしかないと、炯眼で説いた。
わたくしりつは、今では私立(しりつ)になってしまった。
全体が我れという根源の世界へ帰れと、福沢は説いた。
真実の救いは、永遠の命が全て、それがないと悟らないと、救いはない。
私立(わたくしりつ)とは、全体が我の境地。世界の下剋上も、民衆がこの境地にならないと、平和がこない。
今本来と逆の方向に向かう者には、刈り取りを覚悟しなければならない。
天上界は告げる。
かつて地上で起こったことのないような出来事が起こるだろう。
しかし物質界で起きることは夢幻。
それにとらわれてはならない。
ユートピア社会の実現は確実。
熊本地震は天上界の不要なものの刈り取りは待ったなしに行うという意思表示。
大混乱に振り廻されないように、対応が肝要。